「こういうものだから病」について考えた

学生時代、ジャズバンドのサークルに入っていました。

ホールやライブハウスを借りたり、学園祭に呼んでもらい演奏するなど、不定期に本番があり、そのために日々練習をするのです。

曲を練習をするにあたり、「デモ音源」と言われる、先人のプロミュージシャンが演奏し録音した音源が提示されます。

平たく言えば、「この通り演奏できるように練習しましょう」 というお手本です。

 

このデモ音源、もちろんかっこいいものも多いのですが、

たまに「この終わり方、すごくイマイチだなー。」とか、

「ここのフレーズ、いい加減に作ったんじゃないかなー。」と思うようなものもあります。

聴き始めの最初の頃は、そのような違和感、感想が頭をかすめるわけです。

 

ですが最初に書いたように、提示されたデモ音源は「このように演奏しましょう。」というお手本です。

このデモ音源、本番に向けて何度も何度も何度も聴き込みます。

そうすると面白いことに、前記のイマイチな部分に抵抗がなくなってくるんです。

これは一言で言えば、「慣れ」ではないかと思います。

人間の適応能力とはすごいものです。

 

この違和感は、「慣れ」によって希釈されただけなので、解決したわけでもないし、納得できるだけの説明もありません。

ただ慣れただけです。

だから例えば後輩に 「このフレーズダサくないっすか(笑)」 と言われても、

「こういうものだから」 としか答えようがないかもしれません。

「こういうものだから病」です。

 

働き出して、この 「こういうものだから病」 に何度も直面してきました。

「なぜ販売する木材に定価を設定できないのか。」

「こういうものだから。」

「なぜそれぞれの仕事に役割分担と責任者がいないのか。」

「こういうものだから。」

「なぜ販路を新規開拓してはいけないのか。」

「こういうものだから。」

「なぜ書類という書類が手書きなのか。」

「こういうものだから。」

「なぜお客さんには関係のない売る側の都合ばかりを優先させるのか。」

「こういうものだから。」

「こういうものだから。」

「こういうものだから。」

例を挙げればキリがないです。

 

働き出して3年ほどたって、僕も 「こういうものだから病」 の初期症状、 「そういうものなのか状態」になっていました。

慣れってこわい。

もちろん、業界の中でやっていくためには「こういうものだから」も必要で、というか、元は必要だからこそ生まれたものなはずで、

それ自体を悪と言うわけでは決してなく、要は自分がどの、誰の方向を向いているかだと思うのです。

 

つづく。