木を生かす

久々の書き込みです。
最近、木材に関して考えさせられることが多くて、考えがまとまりません。
新聞等のメディアには「木を生かして使う」などと言う言葉が散乱しています。
でも、私たち木材業者は、本当に「木を生かして」使っているのでしょうか?
昔々と異なり、木材が量産化、さらには工業製品化してくると、「木を生かすということと、木材そのものが持っている特性や良さを両立させることが、どんどん離れて行ってしまっているように感じます。
「家を建てる人たち」。木造であれ、鉄骨であれ、コンクリート造であれ、彼らは建築業者と呼ばれます。その中で、最も木を生かして家づくりをしなくてはならないのは、木造建築業者です。
しかし、そんな大工さんは減った…彼らは「木造建築業者」ではなく、「匠」と呼ばれるのです。もはや、本物の木造建築は「文明・建築」の分野ではなく「文化・芸術」の世界になってしまいました。

これは時代の流れであり、嘆いても仕方のないことです。しかし、テレビ番組などで文化財を修復する現在の匠たちの姿を見ていると、木造建築も「匠」が減少することにより、本来なら残すべき、残す価値のある建物が、直せる人がいないとの一言で取り壊されてしまうのだろうなぁと、フッと溜息をつきます。

先日、鬼怒川が氾濫し、多くの家が押し流されました。皆さんはあのテレビに映し出された映像をみて、不思議に思わなかったでしょうか?東日本大震災の、あの大津波の際にも二階建ての家はそのまま押し流され、屋根の上で救助を待つ人たちが沢山いました。
しかし、今回のテレビが映し出した画像は、一階の部分がいとも簡単に崩れ去り、後を追うように二階部分が崩れ、流されていく姿です。
北国は雪の重量の関係で柱に4寸材を使う。台風より雪の重さを考慮して屋根重量を軽く設計する。だから東日本大震災では二階建てのまま押し流される家が多く、戦後の建築基準法、それも耐震基準が強化される前の建物は壁の強度が弱かったから、いとも簡単に一階部分が崩壊したのだと説明することは簡単です。
しかし、そう結論付ける前に、崩れた建物が埋め立て、焼却処分されてしまう前に、一体、あのいとも簡単に崩落した家の原因は何だったのかを、しっかり検証する必要があると思うのです。

本当に「木を生かした」使い方をし、「木を生かした」建て方をした家が、あんなにも無残に崩落するとは、私にはとても考えられないのです。
 ちなみな、今、築34年の我が家の(最後の?)リフォーム工事をしていますが、設計そのものに携わった私は、自信を持って、あの家はあと20年、30年、建築後50年、60年経っても、堤防が決壊した程度の濁流で一階部分が簡単に押しつぶされてしまうことなどないと、断言できます。木を選び、木を生かして建てた家だからです。