変化の怖さと面白さ

新年の会社の初顔合わせの日、夕方から40年ほど前の古い木場のビデオを社員一同で見ました。
40年くらい前と言えば、私はもう成人になったかどうかの頃。
しかし、映し出された映像は、まるで「歴史ドキュメント」のように、私が生まれるはるか前の戦前のような印象でした。
新木場への移転の話が進んでいたころなので、たぶんNHKがドキュメント番組として撮影したものなのでしょう。
そして、その後の新木場移転。しばらくは活況が続きましたが、元々、古い木場の製材工場は南洋材製材が中心だったため、原産国の原木の輸出規制が強化されるに伴い、廃業が相次ぎました。
それでも東洋一を誇る木材製材の荷揚げ基地である東京木材埠頭を背後に抱える新木場は、米材を中心とした製品問屋の町として栄え続けているように見えました。
しかし、その裏では大型プレカット工場の台頭などにより、流通は頭越しになり、確実に「木材問屋」という役割は限界が近づいていました。
みな、なんとなく流通の変化には気が付いていた… しかし、ゆでがえるのように毎年、少しずつの変化に今年は去年と同じで良い。来年も今年と同じなら幸せだと、根本的な問題から目をそらし、流通量が減る中で材木置き場として、また製材工場だった土地を賃貸することで企業採算を合わせ、安泰を装って生きてきました。材木を扱う店は減るばかりです。
組合や同業者の会議に出席しても、どうしたら良いかという話題は、まったく出ません。皆で知恵を出し合えば解決できる問題でないと、最初からあきらめています。個々に対応していくしかないのです。
昨年の2月に社長職を長男に譲り、新社長はリニア新幹線のようなスピードで、榎戸材木店の改革を始めました。社屋も変わりました。20年もの間、売れずに倉庫で埃をかぶっている在庫は「在庫」ではなく邪魔者でしかないと整理をし、ようやく新体制が整いました。まだ、細かいところは残っていますが。
40年前のビデオの映像と今との変化、変わりようは、時代の流れが速くなった現在、10年ほどで激変して行くでしょう。
新木場が木材の街であった時代は終わろうとしています。しかし、その中で、新しい形でも「木材を扱う」ことを残して行きたい。これからは毎年、いや毎月が挑戦です。